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クリスマス礼拝 2005年12月25日(日)
説教題 【義とされる】
聖書ーローマ人への手紙 第3章21節~31節より 「神みずからが義となり、さらに、イエスを信じるものを義とされるのである。」(26節) 今年は主イエス・キリストのご降誕日にクリスマス礼拝を献げることができました。 主のご降誕を告げるメッセージは、両親のヨセフとマリヤ以外では最初、野で羊の番をする羊飼いたちに語られました。 「きょうダビデの町に、あなた方のために救主がお生まれになった。」(ルカ2章11節)。 最初羊飼いたちはこのみ使いの言葉に恐れと驚きを隠すことができませんでした。「恐れるな」とのみ使いの告げる言葉にひれ伏して聞く時に初めて彼らはそのメッセージが今までに知らされたどのメッセージに勝る喜びの訪れであるかを知らされたのです。彼らを包む闇の中で真実の希望の光がそこにはあったのです。夜という闇、時代の闇あまたの闇の世界におじ惑う者に与えられる希望の光が贈られたのです。 わたしたちは声を大にして伝えなければなりません。この日はプレゼントがゆきかい楽しむだけの日ではないことを。私たちに託されたことはただいたずらにこの日がおめでたい日だと浮かれ騒ぐことではなく、ただ1つの事実を伝えることなのです。 「あなた方は、幼な子が布にくるまって飼い葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それがあなたがたに与えられるしるしである。」真のメシアが人としてお生まれになった。そこに招かれ生かされる人生を始めることのできる幸いが与えられたのです。 ローマ人の手紙3章に語られることもまた神の恵みとキリストのあがないによって義とされる人生が与えられたことであります。それがまさにクリスマスに神のみ子の誕生として形になりました。人はどうしたら神と正しい関係を持つことができるか、恐れや不安でなくやすらぎと平安が与えられるかを示しています。 どうしたら神と共に平安に、安らかに生きることができるか、疎外感や不安、恐れから開放されるか、それはまさに神との正しい関係に入ることからしか得ることのできないものなのであります。 キリストの出現以前、ユダヤ人たちはそれを律法の規定を遵守することによってのみ与えられると言い伝え続けてきたのです。しかし、それは現実に不可能でした。 誰も律法を完全に守ることなどできはしなかったのです。それは不完全な人間には重い荷であります。にもかかわらず、律法は必要であったのです。それは真の神に至らせる唯一の道を示しているからです。律法は人に罪を自覚させるためになくてはならぬものでありました。己の弱さを知り、悔い改めの人生を受け入れる時に人はイエス・キリストによって贖いとられた人生が与えられていることを信じることができるのです。 キリストを信じる信仰による神の義があるのです。罪ある者がキリストの十字架の執り成しによってあたかも罪なき者のようにして神が取り扱って下さる。主の憐れみによる赦しが人を恐れから解き放つのです。神は砕けた悔いた心を持つ者を暖かく受け入れて下さるのです。赦しの愛に包まれ、神の義とされて人は救われました。 クリスマスは罪の赦しを与えるために神が愛する独り子を世に遣わされた出来事であります。価なしに、神の恵みによって、イエスを唯一の主と信じる者を神は義とされたのです。 神の義のうちに生かされるためにわたしたちのなし得ることは何もない、ただ一方的な赦しがあるだけなのです。それが行ないによらずただ信仰のみということなのです。 今や救いがユダヤ人だけではなく異邦人にもすべて信じる者に等しく与えられている、それがクリスマスの意義であります。神は唯一であり、神への道は異邦人にもユダヤ人にも開かれており、イエスを主と仰ぐ者はみなその道を歩むことができるのです。そして律法、神の言葉を受け入れて神の愛のうちに生かされ、恐れや不安から開放されて生かされるのです。 ■
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by seiwach
| 2006-01-15 19:54
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