聖和教会 & 附属:聖和幼稚園
by seiwach


伝道三十年       教会誌 「聖和」2007年 号より

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わたしが洗礼を受けたのは1967年十二月二十四日のクリスマスでした。高校二年生の時でした。両親ともにキリスト教の信者で母の胎内いる時から教会に行っていたのです。事情があり幼稚園に行くことができず、家の近所の教会の教会学校に小学校入学以前から五歳下の弟を連れて毎週日曜に通うようになりました。殆ど礼拝を休んだ記憶はありません。中学・高校のクラブでどうしても行事にぶつかったり、公式試合にあたった時は休みましたが、常時精勤賞を頂き、それも励みになっていたのかもしれません。高校一年の時洗礼を受けようとしましたが事情があって一年延ばして受洗することができました。
神学校へ
 高校を卒業してすぐに神学校に入学しました。周囲の方々は大学を出てからでもいいのではないかとか、社会経験が大切だとか、父親などはお前の品行は牧師にふさわしくないとかの理由で反対されましたが、受洗の時に考える機会があったこともあり、進学の時には迷いはありませんでした。幼少より育てられた横浜の神奈川教会の牧師(恩師)が神学校の英語の先生であったこともあり、その学校を受験し入学することができました。1969年のことです。東京神学大学という日本で一、二を争う小さな大学でした。入学しまともに勉強したのは一学期の七月の夏休みまで、その年は、1970年の万国博覧会(万博)に向けて日本中が七十年安全保障条約改正(安保)の闘争が日本中の大学のキャンパスで繰り広げられて行きました。神学校も例外でなくキャンパス・ロック(学校閉鎖)されたり、機動隊が入ったり教会の中だけでなく日本中が大荒れに荒れた時代でした。その中で何度も牧師への道を断念しようかと悩んだことがありましたが、大学四年、二年でよい大学院を三年行かせて頂き、1976年に神学校を巣立ち、その年に最初の任地、九州大分県の国東教会に主任担任牧師として赴任致しました。
国東教会時代(1976.4~1981.7)
 神学校出たての右も左も分らない駆け出しの者を教会員は忍耐を持って支えてくれました。ここで培われたものは今でも大きな財産として私の牧会に役立っています。二年間の独身時代を経て順子と結婚し、この期間に長女の渚が与えられました。五年四ケ月の短い時でしたが考えるところもあり、招かれた横浜の指路教会の担任教師(副牧師)として国東を去りました。杵築教会のベテラン牧師の吉新治夫先生には本当にお世話になりました。良い先輩を与えられ、良い羊を主は与えて下さいました。
横浜指路教会時代(1981.8~1984.3)
 実家が横浜であったこともありホームポジションに戻った感じでしたが、指路は会員数も国東とは比較にならない日本の中では大教会歴史も古く、ローマ字で有名なヘボンが創設した教会です。そこで1981年の八月から1984年の三月まで奉仕しました。
 主任の鷲山林蔵先生からは牧師としての姿勢、教会員との関係、教会事務等多岐に亘って良い指導を頂くことができました。残念ながら昨年主のみもとに帰られました。
横浜時代に長男誠が与えられました。
聖和教会(1984.4~現在)
 聖和教会に招かれて現在に至るのですが、伝道生活三十年のうち三分の二以上がここでの生活になりました。ここにいることが本当にこの教会のためになるのか悩んだこともあります。今もそうかもしれません。主の憐みと教会員の素直さによって何とかここにいさせてもらっているというのが実情でしょう。これからもいっしょに主に喜ばれる教会を建てるために祈りを合せていかなければなりません。
五十五年前の青年たちの溢れる情熱が今も衰えないでこの教会に脈々と流れています。現状は厳しいけれど、肉体は衰えど、わがうちにある信仰の命はますます血気盛んに生き生きと、祈りを合せて主のために伝道しましょう。

 准允は1977年五月五日の九州教区総会でした。伝道者としての始まりは国東にありますが、指路、聖和と良い奉仕場所を与えられ、今日まで用いて頂けていることを何よりも主に感謝。そして今も忍耐して支えて下さっている聖和の皆さまにも心から感謝します。
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by seiwach | 2008-03-09 15:26 | 牧師紹介
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